「精神障害者幸せブログ」始めました!

自己紹介

はじめして!ひらっちと申します!
現在、「双極性障害Ⅱ型」という精神障害を背負いながら、幸せに生きるため日々奮闘しています。

精神障害者である自分が、同じように精神疾患で苦しんでいる人々の力に少しでもなりたい、、、
という思いで、病気と上手く付き合いながら幸せに生きるヒントを共有するために、思い切って
ブログを始めることにしました。

記念すべき初投稿ということもあって、私が精神障害者になるまでどのような経緯があったか
お伝えしようと思います。

新卒入社で大手ゼネコンに入社

明治大学理工学部建築学科を卒業し、新卒で大手ゼネコンの施工管理として入社しました。
世間的にも建設業界は残業が多いというイメージがあり、入社前からそれなりに覚悟を
していましたが、それでも大手の会社で働く憧れや、より高い給料を優先して、就職活動を経て
入社することを決意しました。

実際に働き始めると、イメージ通りの労働環境でした。
朝は4時台に起きて出社し、終電で帰る日も少なくなかったです。

それでも職場の人間関係には恵まれていたり、建物が竣工した時の達成感や、やりがいは感じていたので厳しい労働環境の中でも、なんとか働くことができていました。

一度目の適応障害の診断

入社して6年目、当時の現場は人手も少なく、終電で帰る日がこれまでより多くなり、
現場に泊まって仕事をする日も多くなっていました。その頃から、朝起きると動悸がするようになり、身体に異常が出始めました。それでも働き続けて、ある日いつものように現場に泊まり、仮眠をとって起きた時に

「あれ、なんでこんなに頑張っているんだろう、、、」

と何もやる気が起きない無気力な状態になってしまいました。
その時は、正常な判断ができる状態ではなかったので、上司に退職の相談をしましたが、まずは休職してみる提案があり、休職することにしました。

休職にあたって初めて精神科に通い、その時の診断は「適応障害」でした。

休職期間は実家で過ごすことにし、運動不足解消のためにジムに通ったり、漫画や映画鑑賞など好きなことに没頭し、次第に体調も回復していきました。

約2ヶ月休職しましたが、仕事自体は嫌いではなかったので、会社の人事と相談し、同じ職場に復帰させてもらうことにしました。

二度目の適応障害の診断

休職明けも自ら希望し、現場監督として再出発しました。

しかし復帰してしばらくすると、以前より少しでも残業が続くとすぐに身体の異常が出るように
なっていました。

自分の中での身体の異常のサインは、朝起きた時の動悸です。

元々、人に相談することが苦手なので、身体の異常を無視して働いてしまった結果、
再び無気力な状態になり、二度目の「適応障害」と診断されました。

そしてまた、休職を取ることにしました。

残業の少ない会社で働くために転職

二度目の休職期間中に、当時の会社の働き方が自分には合わないと感じ、
転職活動することにしました。

転職活動で重要視していた項目は、
・残業が少ないこと
・これまでの仕事の経験が活かせること

この二点を重要視して仕事を探していました。

その結果、IT系で理想の条件にあった会社に出会うことができ、内定をもらうことができました。

休職明けにゼネコンの会社には、退職する旨を伝え、新しい会社で再出発することにしました。

新しい会社でも体調不良、、、「うつ病」を疑われる

ゼネコンの会社退職後、新しくIT系の会社に勤めはじめました。

入社してすぐは残業も少なく、仕事内容も前職の経験を活かすことができていたので、
充実した日々を過ごしていました。

入社して2ヶ月が経ち、前職の経験も評価してもらったこともあり、
新しいチームのリーダーを任されることになりました。

チームを構築するにあたり、残業も少しずつ多くなってはいましたが
充実感もあり、新しい環境に不満はありませんでした。

しかし、チームリーダーに就任して3ヶ月経った頃、再び朝の動悸がするようになり
ある日また無気力な時状態になってしまいました。

前職と比べるとそこまで残業もなく、人間関係や仕事内容にも充実していたので
体調が悪くなる原因が自分には心当たりがありませんでした。

会社の上司と相談し、とりあえず精神科を受診することになり、
病院の先生からは「うつ病」が疑われると伝えられました。
なので、まずは抗うつ剤を服薬することになりました。

双極性障害の躁状態を迎える

抗うつ剤を服薬して二日後には、今までの鬱状態が嘘のように良くなり、
むしろいつもよりやる気に満ち溢れた状態になしました。

うつ病を疑われてから一週間後、再び精神科に訪れ、体調が良くなったことを先生に伝えると、
症状が良くなるのが早すぎると言われ、今後は双極性障害も疑いつつ通院することになりました。

その後は体調が安定した日が続き、病院の先生からも体調は良好に向かっていると言われ、
安心して生活を送っていました。

しかし、今振り返れば体調が良好と思っていた期間が、実はハイテンションな躁状態でした。

自分の躁状態は、朝早く起きると仕事に行きたくて仕方ない状態で、また自分はなんでもできるという
万能感に満ち溢れていました。

病院の先生には、「体調はとても安定している」と伝えていたので、当時は躁状態を見抜くことが
できませんでした。

躁状態の後の鬱状態、、、双極性障害と診断

双極性障害は、ハイテンションな躁状態と気分の落ち込みや無気力感がでる鬱状態が繰り返される病気です。

自覚のない躁状態が約3ヶ月ほど続き、仕事も順調で残業も少ない時期に突然また鬱状態になってしまいました。

病院に出向き、過去に躁状態がないかを改めて先生と確認した結果、ここ3ヶ月は体調が安定していたのではなく、躁状態にあったことが分かり、正式に双極性障害を診断されました。

その後も鬱状態がなかなか治らず、転職した会社でも休職を取らざるを得ない状況になってしまいました。

会社を退職し、精神障害者に

休職期間は、より病気について知るために本を読んだり、ネットで調べたりしていました。

双極性障害は、根本的に完治が難しい病気ということもあり、治療の目指すゴールは症状が出ていない寛解状態です。

治療の主軸となる服薬は、基本的に一生続けなければならないそうです。

休職期間も躁状態と鬱状態を繰り返し、今後一生飲み続ける自分に合った薬も確立できていないこともあり、休職期間後は退職し、もっと病気と向き合う時間を作ることにしました。

退職後には今後の障害者雇用も視野を入れて、障害者手帳を取得しました。

現在は傷病手当を受給しながら、病気と向き合っています!

現在は、傷病手当を生活費に充てて生活しています。

少しずつ病気との付き合い方を理解し、自分が幸せになるための行動や考え方を模索していますが
今でも体調の波はあります。

精神障害者として仕方無い部分もあると思いますが、少しでも自分が幸せになれる生き方を
このブログを通じて見つけられたらと思います。

皆さんも一緒に幸せになる為に、今日も生きていきましょう!

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